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鹿児島地方裁判所 昭和50年(ワ)141号 判決

原告

有迫渡

ほか二名

被告

鹿児島県

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一請求の趣旨

一  被告は原告有迫渡に対し金三九二万九、二〇一円、同有迫サミヱに対し金四九万七、四四九円、同有迫裕に対し金二七万一、四八六円及びこれらに対する昭和五〇年五月一八日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言。

第二請求の趣旨に対する答弁

主文同旨の判決を求める。

第三請求の原因

一  事故の発生

原告らは次の自動車事故により負傷、自宅を倒壊せしめられた。

(一)  発生時 昭和四七年一二月一日午後九時四〇分ごろ

(二)  事故発生地 鹿児島県姶良郡横川町中の三〇四の四

(三)  事故車 普通貨物自動車一一トン積

(四)  運転者 川俣優

(五)  態様 道路状況不知の川俣優が加治木方面より栗野方面へ時速五五キロメートルで県道五五号線(県道栗野・加治木線、以下県道五五号線という)を進行中、右道路が県道五〇号線(県道宮之城・牧園線、以下県道五〇号線という)と接続する三叉路(外形上十字路)に差しかかつた際、直進不能に気づき、急拠右折の措置をしたが及ばず、事故車を右三叉路東北角(前掲事故発生地)所在の原告渡所有にかかる木造瓦葺二階建店舗兼居宅一棟一三三・〇一平方メートル(以下本件家屋という。)に横転せしめ、よつて本件家屋を倒壊せしめ、家財道具、店舗内の商品の一切を破壊し、原告らをその下敷きとして次の傷害を負わしめた。

原告渡は頸部症候群、右腰部打撲症。

原告サミヱは右三、四、五肋骨・軟骨解離症及び左二、三、五肋骨々折胸骨々折症。

原告裕は全身打撲傷

二  責任原因

(一)  本件道路(県道五五号線、県道五〇号線)は被告の管理する県道である。

(二)  本件事故は被告の道路の設置・管理の瑕疵によるものである。

(イ) 本件事故現場は県道五〇号線に県道五五号線が接続する三叉路であるが、本件事故当時県道五五号線を直線状に延長するバイパス建設工事が行われていて、外形上十字路をなしていた。そして県道五五号線が県道五〇号線に接続する部分には四〇センチメートルの落差がある。

(ロ) それにも拘らず、被告は右三叉路の手前に徐行、一時停止その他注意喚起のための道路標識を設置せず、却つて栗野方面に進行する車輌は通行不能のバイパス建設工事現場の方に直進すべき旨の方面方向標識板を設置していた。

(ハ) そのため建設中のバイパスに乗り入れて引き返す車輌や急転回する車輌があつて、原告らは常に危険を感じていたので、地元警察署を通じて本件事故現場付近の道路整備、路面の補修、夜間赤色灯の設置その他の安全措置を被告に申し入れていたのに、被告はこれを放置した。

(三)  よつて被告は原告らに対し国家賠償法二条一項に則り、原告らに生じた損害を賠償すべき責任がある。

三  損害

(一)  原告渡

(イ) 本件家屋倒壊による損害(新築代金)金四五八万円但し建坪九二・五六平方メートル、三・三平方メートル当たり金一六万円、雑費金一〇万円の割合。

(ロ) 新家屋建築中の代替建物賃借料 金一一万二、五〇〇円

(ハ) 医療関係費、交通費、逸失利益 合計金一八〇万〇、六四九円 但し明細は別紙目録一のとおり。

(ニ) 慰謝料(以上全ての事実によるもの) 金二〇六万一、三〇〇円

(ホ) 弁護士料 金二五万円

(二)  原告サミヱ

(イ) 医療関係費、交通費、逸失利益 合計金四九万七、四四九円 但し明細は別紙目録二のとおり。

(ロ) 慰謝料 金五〇万円

(三)  原告裕

(イ) 医療関係費、交通費、逸失利益 合計金二二万五、八八〇円 但し明細は別紙目録三のとおり。

(ロ) 慰謝料 金一〇万円

四  損益相殺

(一)  原告渡

(イ) 被告からの支払 金二七七万五、二四八円

(ロ) 共済組合保険給付 金一六〇万円

(ハ) 自賠責保険給付 金五〇万円

合計金四八七万五、二四八円

(二)  原告サミヱ

自賠責保険給付 金五〇万円

(三)  原告裕

自賠責保険給付 金五万四、三九四円

五  結論

よつて被告に対し原告渡は三項記載の損害合計金八八〇万四、四四九円から四項記載の金四八七万五、二四八円を控除した金三九二万九、二〇一円、原告サミヱは三項記載の損害合計金九九万七、四四九円から四項記載の金五〇万円を控除した金四九万七、四四九円、原告裕は三項記載の損害合計金三二万五、八八〇円から四項記載の金五万四、三九四円を控除した金二七万一、四八六円及びこれらに対する訴状送達の日の翌日から完済に至るまで民法所定率たる年五分の割合による損害金の支払を求める。

第四請求の原因に対する答弁

一項について

(一)ないし(四)の事実は認める。

(五)の事実のうち事故車が県道五五号線を加治木方面から栗野方面へ向け時速五五キロメートルで進行中、原告主張の三叉路において右折する際、本件家屋に横転してこれを損壊し、原告らがこれにより負傷したことは認めるが、その余の事実は争う。事故車の運転手川俣優は「道路状況不知」だつたのではなく、本件事故までに事故現場附近の道路を何回か運転して通過しており、道路状況はよく知つていたものである。又川俣優は「直進不能に気づき急拠右折の措置をした」のではなく、もともと右折すべく三叉路に差しかかつたが、事故車には木材を満載して(地上高約三・五メートル)重心が高くなつているのに、三又路手前にある一時停止の標識を無視し、適切な減速も行なわず右折したため左側へ横転したのであつて、本件事故は偏えに川俣優の重大な過失に基くものである。

二項について

(一)項の事実は認める。

(二)(イ)の事実は認める。なお原告主張の四〇センチメートルの落差は県道五五号線が県道五〇号線に接する手前約一二メートルの間の勾配を指すものである。

(二)(ロ)の事実は否認する。事故車が進行した県道五五号線上には本件三叉路の手前一〇〇メートルの地点に「これより一〇〇M先工事中」の工事予告板を置き、これから三叉路へ近づくと左側の山村商店前に「道路工事中」の標示板があり、三叉路直前左側の右勾配の部分に公安委員会の一時停止の標識が設置してあつた。県道五五号線は県道五〇号線と本件三又路においてほぼ十字に交わり、これを越えて延長されているが、五〇号線を越える部分から先は本件事故当時開設工事中で車両等の通行ができなかつたので、そこへの進入を防ぐため、事故車から見て正面の五〇号線を越える部分に通行止の標識とバリケード各一基を置き、バリケードの両側附近には赤ランプ(乾電池式工事灯)二基を設置してあつた。原告主張の方面方向標識板の表示は本件事故当時は訂正されていた。

(二)(ハ)の事実のうち被告に関する部分は否認し、その余の部分は不知。

三項の事実は不知

四項の事実は認める。但し被告は本件事故以前から原告渡と本件家屋の移転交渉をしており、その移転補償として建物本体につき金二四〇万一、二八〇円、かまど、風呂等本件家屋に附随する工作物の補償として金二五万八、二九〇円、移築中の仮住居の補償として金一万八、〇〇〇円を交付していたものである。

証拠として各当事者の提出した書証ならびにこれが成立についての各相手方の認否の意見、各当事者の援用した人証及び検証の結果は、いずれも一件記録中の書証目録ならびに証人等目録に記載のとおりである。

理由

昭和四七年一二月一日午後九時四〇分ごろ、鹿児島県始良郡横川町中の三〇四の四先県道五五号線が県道五〇号線と三叉路をなす路上において川俣優運転の一一トン積み普通貨物自動車が右折中横転し、原告所有の本件家屋に損傷を加え、原告らに対し傷害を与えたこと、本件道路(県道五五号線、県道五〇号線)が被告の管理する県道であることは当事者間に争いがない。

原告らは本件事故は被告の本件道路の設置、管理の瑕疵によるものであると主張するので以下検討を加える。

いずれも成立に争いのない甲五号証、乙一号証、同七号証の一乃至四、同一九号証の二、いずれも証人隈元利夫の証言によつて真正に成立したものと認める乙三号証、同四号証、同六号証の各一、二、いずれも証人鶴川政春の証言によつて真正に成立したものと認める乙五号証の一乃至三、証人隈元利夫、同鶴川政春、同川井田勝志(第一、二回)、同村山定已、同黒田忍の各証言並びに原告本人尋問の結果(第四回)によると本件事故現場付近の道路状況は次のとおりである。則ち県道五五号線はほぼ南北に通じ北行二車線、南行一車線のアスフアルト舗装道路であり、本件事故現場の南方数百メートルから北にむかつてゆるい下り勾配をなし、殊に本件事故現場の手前約二〇〇メートルからは見通しのよいほぼ直線状のコースをとつて、ほぼ東西に通ずる県道五〇号線と約六〇度の角度をもつて接続して三叉路をなすが(それゆえ右三叉路を県道五五号線から右折する車両には約一二〇度の鈍角となる)、その接続する部分において段差が存し、県道五五号線の路面が県道五〇号線のそれよりも若干高いので、これを匡正するため、県道五〇号線に至るまで、最短の部分において約七・五メートル、最長の部分において約一一・五メートルにわたつて約一五度の下りの勾配をつけ、これを簡易舗装してある。そして県道五五号線は、本件事故当時、右三叉路において県道五〇号線を横切つてほぼそのままの幅員で北にむけて延長工事中であつたが、工事関係車両以外の車両が進入しないよう幅一・八メートル、高さ一メートルのバリケード、ドラム罐、工事中交通止めと記載した標識板並びに赤色工事灯二基を入口に設置していた。但し右工事灯は本件事故当時点灯されていなかつた。一方県道五〇号線は三叉路付近において幅員六・七〇メートル乃至七メートルの砂利道である。而して県道五五号線には県道五〇号線との交差点左側(西側)に公安委員会の一時停止標識が設置せられ、その約三〇メートル南側に県道五五号線を跨いで方面方向標識板が設置せられ、これには夜間は自動車のライトを受けて白く反射する塗料を用いた横二・四メートル、縦一・五メートルの三枚の標識板が取り付けられて適正な方向指示が与えられており、その南側約五メートルの道路左側には約一メートル四方の板に一〇〇メートル先工事中と書いた予告板が工事中の業者によつて立てられていた。そして原告の本件家屋は県道五〇号線と県道五五号線の延長工事箇所の東北角に所在し、付近は田舎町ではあるが市街地をなし、路上はやや明るい程度であつて、県道五五号線から県道五〇号線上の見通しは悪い。甲五号証に県道五五号線と県道五〇号線の接続する角度について右認定と異る記載が存するが、これは乙一号証及び同一九号証の二と対比して措信せず、他に右認定を動かすに足る証拠はない。

そこで進んで本件事故車の進行態様につき按じるに、前掲甲五号証、いずれも成立につき争いのない甲六号証の一、二、同八号証、乙二号証によると、川俣優は事故車に建築用材を満載し、地上三・五メートルぐらいまで積み上げてこれを運転し、県道五五号線の中央の車線を時速約五五キロメートルで北進し、助手席に同乗していた訴外安藤富二夫が本件三叉路の手前約二〇〇メートルで右折に気がついていたのに、三叉路の手前約四五メートルに接近するまで右折に気づかずほぼそのままの速度で進行し、さらに約一〇・五メートル進行した地点で軽くブレーキを踏み、右折せんとしてさらに約一七・八メートル進行したが、すでにその時点では右前方にある本件家屋に突入すると考えられたので、同所付近において急ブレーキを踏み、さらに右むけに急ハンドルを切つたところ、運転席が前掲簡易舗装の下り勾配上にあるとき、すなわち事故車の長さは一一メートル余であるところ、右の下り勾配の長さは前掲のように最長部分で約一一・五メートル、最短部分で約七・五メートルであるから、事故車の後車輪がようやく下り勾配に乗つたばかりと考えられるころ、すでに事故車は右後車輪が浮き上がつており、その後ブレーキの効果が十分に上がらず、時速約二〇キロメートルで三叉路を右折し続けるのにともない、徐々に左に転倒し、本件家屋に接するようにして完全に横転したことを認めることができる。右認定を動かすに足る証拠はない。

以上の事実によると、川俣優が三叉路の直近に至るまで右折に気づかなかつたのはもつぱら同人の前方不注視のためであつて、本件事故現場付近の道路に右折すべき箇所の所在を予め指示する交通標識その他の安全設備を欠いたためでないことは明白である(県道五五号線の延長工事現場にバリケード、ドラム罐その他の障害物が放置されていたことは、右折のための安全設備ではないにしても、事故車の如き北進車に対し進路前方に対する注意をいつそう喚起せしめるに足るものである)。次に事故車が横転するに至つた理由は川俣優がスピードを出し過ぎていたため一時停止の標識にも拘らず三叉路の手前で停車させることができないまま、本件家屋への突入を避けんとして急ブレーキを踏みつつ右に急ハンドルを切つた点にあり、事故車が木材を満載して重心が高かつたことがその横転を決定的なものとしたと言わざるを得ない。県道五〇号線直前の簡易舗装の部分は約一五度のかなりきつい下り勾配をなすが、事故車はこの勾配に差しかかつたばかりの時点で、すなわちこの勾配が車両の運行に対しほとんどなんの影響も及ぼすに至らないうちに、すでに横転し始めていたのであるから、右の下り勾配の存することが事故車横転の原因でないことは明らかである。

そうすると本件事故はもつぱら川俣優の運転上の過失によつて惹起せしめられたものと言うべく、被告において本件道路の設置、管理に瑕疵があつたものと言うことはできない。

それ故被告において本件道路の設置、管理の瑕疵があつたことを理由とする原告らの本訴請求は失当であるからこれを棄却すべく、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 橋本喜一)

目録一

(医療関係)

治療費

猪俣医院 171,710円 昭和47年12月1日より48年2月12日まで74日間入院費

同上 19,572円 昭和48年2月13日より同年3月31日まで47日間通院加療費、並びに同年4月1日より同年7月31日まで64日間通院加療費

浜崎整形外科医院 567円 昭和47年12月2日

診断書代 4,000円 上記各医院4通

看護料 111,000円 1,500円(1日)×74(入院日数)

入院雑費 14,800円 200円(1日)×74(入院日数)

通院交通費 111,000円 1,000円(1回)×111(回数)

計 432,649円

(逸失利益) 1,368,000円 3,000円(1日)×456(事故日より49年2月28日までの稼働不能期間)

目録二

(医療関係)

治療費

猪俣医院 167,650円 昭和47年12月1日より48年2月12日まで74日間の入院費

同上 16,670円 48年4月1日より同年8月31日までの95日間通院加療費

浜崎整形外科医院 1,329円 昭和47年12月2日

入院雑費 14,800円 200円(1日)×74(入院日数)

通院交通費 95,000円 1,000円(1回)×95(回数)

診断書代 2,000円

計 297,449円

(逸失利益) 200,000円 1,000円(1日)×200(入院74日通院95日を含む稼動不能日数)

目録三

(医療関係)

治療費

猪俣医院 9,880円 昭和47年12月1日より12月31日まで1箇月間の通院治療費

通院交通費 31,000円 1,000円(1回)×31(回数)

診断書代 1,000円

計 41,880円

(逸失利益) 184,000円 2,300円(1日)×20(月間稼働日数)×4(休業月間)

なお、2,300円の単価は原告の事故前3箇月間の平均日給である

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